僕の考え方

親戚の法事に参列し法話を聴いて想う妻と子どもたちへの感謝

親戚の法事がありまして、参列してきました。

最近年齢を重ねたなと感じるのは、こういう法事の回数が年々増えてきているなと感じることから。

今回は四十九日法要。

来月はまた別の親戚の一周忌があります。

それだけ、自分も周りも歳を重ねたということなんでしょうね。

 

参列するたびに想う、妻や子どもたち、家族への感謝を今日は書いてみたいと思います。

亡くなった方を想うからこそ、今に感謝できる

 

 

法事に参列すると、亡くなったその方を想わずにはいられません。

生前、どんなことをしてくれたかな。僕が小さいとき、大人になってからの付き合い、など。

 

今日の方は、僕の結婚式を東京で挙げた際にも新潟から来てくれて、

子どもが生まれた時もふたりとも孫のように可愛がってくれて、

本当に優しい人でした。

 

法事のような機会に参列し、亡くなった方を想うたびにその方と過ごした当時を思い出せるし、

その当時の自分がどんなだったか、何をしていたかまで鮮明に記憶って蘇るから不思議なものですよね。

 

そして、思うのは、

これまで生きてきていろんなことがあったけれど、

間違いなく今の自分があるのは今まで関わってきた人たちや出来事があったからこそで、

 

今の自分を支えているのは妻や子どもたちの存在があるからこそだと、強く思えるんです。

 

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法事での住職の法話から想う、妻と子どもへの感謝

大人になっていろんな経験をしてきたからか、

住職がお伝えしてくださる法話にもずいぶんと耳を傾けられるようになったし、

意味がすべてわかるようにもなりました。

 

今日お伝えいただいた法話の中で特に響いた部分を抜粋してご紹介します。

結果、妻と子どもたちへの感謝に繋がっていく話です。

「いただく」ということについての法話

お経は、「お経をいただく」といいますが、

その動作は、『経本を頭の高さほどに持ち上げて、頭を下げること』を意味します。

 

この動作で、敬意と感謝の念を表します。

 

 

そして、「お経をいただく」の「いただく」というのは、

 

【自分の考えを入れず、そのままを受け取る】

という意味があります。

 

 

実は私たちは普段毎日のように「いただく」をよく使っているんです。

 

さて、いつ使っているんでしょう。

 

 

 

それは、お食事のときの「いただきます」です。

 

手を合わせて「いただきます」という行為の意味は、

 

この料理が目の前にくるまでには

料理を作ってくれた人、

食材が流通するまでの過程に関わる人、

農場や漁場で仕事をする人など、

数多くの人の手を経て食事ができることへの感謝、

 

動物や野菜や果物、水、食べることのできるすべてには命があり、

その命をいただくことで自分が生きることができる、そのものへの感謝、

 

このふたつの感謝が込められているんです。

 

 

毎日「いただきます」を意識するということは、

自分の考えを入れてはいけないのです。

 

これは味が薄い、濃い、熱い、冷たい、

もっとこうしたらうまくなる、何で好きなものを入れてくれないんだ、

などなど、自分の想いは一旦置いておき、

 

まず、「いただけること」そのものに感謝、ここにくるまでの過程に感謝、

そして大きな敬意をもって、自分が何に支えられ生きているのかを感じながら食べると、

すべて血となり身となり、

心から美味しく食べることができるのです。

 

今日この日から命をいただいていることに感謝をして、

日々支えられていることに感謝をして、

改めてしっかりと生きていってほしいと思います。

 

法話から学んだこと

こんな感じの法話でしたが、

「いただきます」をするときの感謝で、人の手を経て、という意味には他にも、

僕はその人が生きた時間も含まれると思いました。

 

30分かけて食事を作ってくれたなら

その人の30分ぶんの命も僕たちは食事でいただいている。

農場や漁場で毎日その食材を育てる人の時間分の命も食事でいただいている。

流通する過程に携わるいろんな仕事の人達の時間分の命も、食事でいただいている。

 

食事ひとつとっても、

こんな風に想像できるなと思いました。

 

そして何より食事だけでなく、

同じ住まいに家族として一緒に人生を過ごすということは、

自分と一緒に日々を過ごす人がいるということは、

 

その人の、一緒に過ごす時間分の命も自分はいただいているということなんだろうなと思ったんです。

 

 

結婚して人生を共に過ごすっていうのは、

命を共に与え合い、いただき合い、一緒に想い合いながら生きるってことなんだろうなと。

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命をいただく時間を感じると、妻や子どもへの感謝があふれる

 

 

妻や子どもたちには本当に感謝しかありません。

一緒に日々を過ごせるなんて、誰にでもできることじゃなくて、

家族だからこそなんだから。

 

特に妻には一番の感謝です。

一緒の血が繋がる子どもたちを生んでくれた

家族で唯一血が繋がらない人だからこそ、

想いや意志で繋がり、

一緒に生きることのできる奇跡に感謝が溢れます。

 

日々一緒にいたら、いろんなことがあります。

昨日を同じように今日も過ごすことなんて多いし、

言葉を発しないでただ隣で過ごす時間もあります。

 

そんな日も、そんな時間も、

何でもない瞬間も幸せだ。

 

僕らにしかわからない地図を広げて、

もっと遠くにも、もっと近くにも、

これからも一緒に居たいな。

これからも愛したいなぁ。

 

 

 

つい最近、出逢ってから2500日が過ぎました。

いつの間にかそんなに日々を重ねてきたんだなと、驚きもあり、

今までならこういう大事なときこそ記念日にしてきたけど今回はそうはしなかったなとも感じ。

それはもう、家族っていう縁の存在になれたんだという嬉しさと、

大切にしているからこそこんなに日々を歩むことができたんだという嬉しさ。

いろんな嬉しさが幸せを運んできてくれました。

ちょっと最近は忙しいから、この記念は別の機会に、

改めて自分たちへのお祝いをしたいなと思います。

 

 

 

ほんの7年前には存在さえ知らなかった人と

今は家族で、子どももいて、

なんて尊い奇跡なんだろう。

 

生きることと終わることを考えた法事の機会で、

妻と子どもたちへの感謝が溢れてきた、そんな今日でした。

 

 

明日もそばにいるからね。

これからも大切な毎日を過ごしていこうね。

 

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました!

 

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