いよいよ下の娘がズリバイを始めました!
ズリズリズリズリと必死に動く姿はめちゃかわいいです。。
ズリバイができたことで変わっていく娘の行動や僕ら親が気を付けることについてなどは、また改めてブログに書きたいなと思います。
さて今日は、「赤ちゃんに説明する意味はある」ということについて。
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赤ちゃんに説明する意味はある
月齢が低い子どもに説明しても理解しないから意味がない、と思う人もいるかもしれませんが、僕はそうは思いません。
子育てをしていて本当に子どもは親の言うことをよく聞いていると思うので、しっかり説明をし続ければどんなことでもいつかはわかってくれると思うからです。
もちろん、大人の話している内容をすべて聞き取れているか、すべて理解しているかというと、そうではないと思います。
脳自体もまだまだ発達途中ですし、いきなり理解するわけでないというのは、例えば日本人が外国語を学んですぐに聞き取れたり理解出来たり話をすることができたりするわけではないのと同じです。
でも、子どもはちゃんとわかっている。
すべての意味が、こっちの言いたいこととは異なっていたとしても、理解しようとしている。
だから、わからなくても、すぐにできなくても、伝え続けるし説明し続けます。
どんなに小さい子どもでも、赤ちゃんでも。
子どもは話を聞いている例その①
例えば、子どもは親の話を聞いていると感じたことで、こんなことがありました。
息子が大好きな児童施設があるんですが、今日の予定を決めるときに妻とどこに行こうか話していたんです。
「○○に行こうかね~」
「買い物したいから□□はどう?」
そんな話をしていたら、「○○」というキーワードを聞いていた息子は、おもちゃで遊んでいたにもかかわらず、
「○○ー!○○行くー!」
と急にスイッチが入ったかのように連呼し始めたんですね。
これって、何気ない会話でも子供の耳にはちゃんと届いていて、
どんなことを話しているのかなー、
あれ?知ってる言葉が出てきたぞ?しかも僕が好きな場所!
もしかして行くのかな?行きたいな!
というような感じかどうかはわかりませんが、息子の中で言葉を受け止めて、受け入れて、自分の中で変換して、こうしたい!という思いを伝えるにまでなっているということなんだと思うんです。
子どもは話を聞いている例その②
最近息子はイヤイヤ期真っ最中だと思うので特にですけど、
「これする?それともあれする?」
みたいな感じの二択をすると、
「こっちやだー。こっちー」
というように嫌な方をしっかり伝えて、自分のしたい方を伝えてくれます。どっちも嫌な場合は「やーだー」だけですけど。
こっちが提示したものは今の自分の気持ちにとってしたいのかしたくないのか、何をしたいのかをちゃんと伝えようとしてくれる。
これも、話を聞いてくれていなければ成り立たないことです。
子どもは話を聞いている例その③
あるとき、僕が洗い物をしていて、息子はもう少しでご飯が終わりそうな頃でした。
息子は食べ終わったのか、イスから降りて、キッチンの僕のところまで来たんです。
たぶん、遊びたかったんでしょう。服を引っ張って、「めーめー(人を呼ぶとき、めーめーというのが息子の呼び方)」と呼んでいました。
そのとき、ちょっと息子にも手伝わせてみようかなと思い、こう伝えたんです。
「洗い物終わったら一緒に遊ぶから、食べ終わったお皿、こっちに持ってきてくれる?」
すると、特に返事はなかったんですけどしばらく何か考えて、タタッと走ってテーブルのところまで行き、ちゃんと自分のお皿を持ってきたんです。
「おー!ありがとう!えらいなぁ!」
嬉しそうにニコーッとしている息子。
「ね、使ったコップも持ってきてくれる?そしたらおとーさんすごく助かる!」
と伝えると、ふふーん、なんて言いながらまたテーブルのところまで行き、コップをちゃんと持ってきたんです。
「おー!ありがとう!すごいね!」
より嬉しそうにしていました。
「最後!お首にかけてた青いスタイ、洗うから持ってきてくれる?」
と伝えると、飛び跳ねながらテーブルのところまで行き、いつも使うスタイを持ってきたんです。
「ありがとう!すごく助かったよー!じゃあ洗い物終わったら遊ぶから、ブーブーで遊んでもうちょっと待っててね」
こう伝えると、ウーン!としっかりうなずいておもちゃ箱のところで遊んでいました。
いやーこのときは本当嬉しかったですね!
ちゃんと伝わると思って伝えたけど、いざ分かってくれてしっかり行動に移してくれて、こっちのやってほしかったことをしてくれたので、本当に成長しているなぁと強く感じました。
洗い物が終わってから息子のところへ行き、最近トミカなどのおもちゃの車を積み上げるのが好きなので一緒に遊びました。
すっごくすっごく嬉しそうでしたよ!
子どもに話しかけることは子どもの心の栄養になる
先述した例のことは、できなかったときから何度も伝えていたし、僕たちの生活の中にあるもの(食べ物や道具、施設名、など何でも)はどんどん言葉に出していました。
「○○行こうか」
「△△してくれる?」
「■■してくれたら嬉しいなぁ」
など特定の単語を使う以外にも、
「お散歩行こうねー。あ、ブーブー来たね!大きいブーブーだねー、トラックだよー」
「これはニンジン、これはリンゴ、これはイチゴだよー」
「お風呂気持ちいいね~、今日はどこに行ったの?いっぱい遊んだ?」
「たたいたらだめだよ!痛い痛いだからね。痛い痛いのは悲しくなるし、おてて痛くなっちゃうし、おとーさんもおかーさんも悲しいからね」
などなど、できるだけ丁寧に説明しようと心がけています。
ざっくり過ぎる話で終わらせずに、これはこうだよ、今こんな気持ちだよ、などできる限り伝えるようにしています。
子どもだから言ってもわからない、とは思わずに
できる限り話しかけて、語り掛けて、説明して、を繰り返し、繰り返し。
すぐにわかってくれなくても、最初からできることはないと思って。
もし全く話しかけなかった場合と
どんな言葉でも話でも語りかけられ続けて育った場合を比べたら、
自然に心に残る情報量と、
親の話を聞く時間の量、
そして親の声に耳を傾けようとする応え方など、
成長するほどにかなり大きな差が出るんじゃないかなと思います。
親をはじめ、子どもの周りにいる人が語りかける声が、子どもの心の栄養になるって思うんです。
まぁ、イライラして怒っちゃうこともありますよ。あります。。
余裕がなかったりするとね、ついやっちゃうこともありますよね。
でもやっぱり怒っちゃったときって僕の方も悪かったなって気持ちでいっぱいになるので、ごめんねって言うようにしています。
あとはなるべく、僕か妻のどちらかが叱ったら、どちらかは甘えさせてあげる、みたいなバランスもちょっとずつちょっとずつ取れているかなと思います。
どちらか一方だけが叱りすぎない、甘えさせ過ぎない、親のどちらも同じように接していきたい、というのは今後の課題でもあるのですが。
ちょっと話がそれましたが、
子どもだから理解するわけないから話す意味はない、説明しない、語りかけない
ではなく、
親の言葉のすべてを理解はできないのは当然のこと
それでも、
親の声をちゃんと子どもは聴いている
親の声はちゃんと子どもの心に届いている
親の声が子どもの心の栄養になっている
そう信じて、これからも伝え続け、語りかけ続けていきたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました!