実は今日、季節外れの雪が降ったんですよ(驚愕)
まさか春になって雪が降るなんて思わなかったので、朝降っているのを見て超ビックリ!!
まぁ昼には溶けてたんですけど…。
いまようやく僕の住んでいる地域も桜が咲いてきていて、季節はずれの雪と桜の同居する姿はこれはこれで美しかったんですけどね。
あいにくビックリしすぎてシャッター切り忘れちゃったので(笑)また次もし降ったら撮りますね。でも今度は桜が散ってるかな…。
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桜って本当に儚い
思うんですけど桜って本当に儚いものって、皆さんもそう思いませんか?
というより咲くタイミングと散るタイミングがなんであんなに絶妙なんでしょう。
咲いてほしいな~、まだかな~、まだかな~、と思っているとなかなか咲かなくて、
やっと咲いたと思ったら、満開になったらすぐさらさらと散っていく。
名残惜しさをしっかりと感じさせるし、また見たいと思わせる。
いつまでも咲いていてほしいなと思わせる達人ですよね。
この辺りの桜は満開まであともう一息というところなので、もう少し見れるかなとは思うんですが、
また天気も怪しいのでそろそろ散り頃かもなぁと考えてます。
で、ふと思うんですよね。
そういえば妻と何回桜を見れたんだろう?って。
あと何回、大切な人と一緒に桜を見れるんだろう?
って。
桜は限りがあることを教えてくれる
僕らが出会ったのは2011年の6月でした。
付き合った日はふたりの中でぼんやりしているので(笑)その代わりに記念日を出会った日にしているので忘れることはないんですが。
6月に出逢って、翌年の春、2012年。
2012年にはすでに大切な人として見ていたので、この年から一緒に桜を見ていたらここを1回目として、
今年2018年で7回目の桜、ということになるんですよね。
あぁ、もう7回も一緒に年を越して、桜を見てきたんだなぁ、と思うと同時に、
あと何回一緒に見れるんだろうなぁ、というのも考えるんです。
お互いに30代だし、健康で長生きするなら50回以上は見れるかもしれませんね。もっと見れるかも。
でも、もし何かがあったら。
30回?
10回?
5回?
2回?
今年が最後?
そんな風には決して思いたくないし、
また次があるものだと思いたい。
一緒に何回も季節を越えて、季節を重ねて、
大切な時間を過ごしたいし、
また来年同じように桜を見たい。
でも、人生何が起こるかわからないもの。
誰にも何にもわからないですよね。
僕自身で言うと、今自分がこういう生活をしているなんて10年前は思わなかったし、
1年前にも思っていなかったんですから。
そう、わからないものなんです。
残された人生がどれくらいかもわからない。
もし、今年が最後の桜だとしたら、この生き方でいいのかなとか、
妻に伝える言葉は今日のこれでよかったのかなとか、
妻に見せる表情は今日のこれでよかったのかなとか、
いろんなことを思わせてくれる、思い出させてくれる圧倒的な存在が、桜なんだと思っています。
桜は、人生が本だとしたら、毎章同じタイミングで挟み込まれている「しおり」みたいなもんですよね。
今年も一回、刻んだよ。
次も見れるように、大切に過ごしてね。
そんなメッセージを伝えてくれる「しおり」なんだと思います。
堂本剛さんのソメイヨシノを聴くと、後悔しない今を生きようと思い出せる
僕の尊敬する人は堂本剛さんなんですが、
彼の感性や人を想う心、自然や土地を想う心、愛情が本当に大好きで、歌や言葉を聴くと心が洗われるんです。
剛さんの歌で好きな歌の1つが、「ソメイヨシノ」。
お母さまから「あんたとこの桜、あと何回くらい見れんのかなぁ」と言われたことがきっかけだったそうです。
その言葉が苦しくて、ようやく受けとめた時に桜が風にパァ~っとさらわれるように花びらが舞って、
家族を想う親の気持ちや命を感じる気持ち、行き場のない感情を音楽にしたものが、「ソメイヨシノ」なんですよね。
「ソメイヨシノ」を聴くと、今を後悔しないように生きよう、しっかりと「今」を生きようということを思い出せるんです。
本当に自分を生きているかとか、
本当にやりたいことをできているかとか、
本当に大切な人を大切にできているかとか。
改めて、教えてくれる、そんな歌。
その歌を聴きながら、また改めて妻のことを想い、
そしてまた来年も隣で一緒に桜が見たいな、と強く思わせてくれます。
日を重ねるごとに、どんどん好きになっていく人と一緒に、
来年も素敵で美しい桜が見れるように、
今年もおもいっきり、自分を生きたいな。
最後まで読んでいただきありがとうございました!